くまあつブログ

私の目から見た解散前後の政治状況

約1ヶ月の短命で、未来の党が分党しました。非常に残念です。

私は、臨時国会直前の10月29日に離党届けを提出しましたが、
その前から政界再編の話題はよく耳にしていました。

反民主・反自民・非維新での第3極結集というのも、その中の一つの案として語られ
ており、その頃から嘉田知事への接触が始まっている事も漏れ聞いていました。

来るべき総選挙で、民主・自民との対決は避らけれないが、
維新とはどのような関係になるかはその時点では読めない。
そこで、ともかく第3極の中では一番勢いのある維新と向き合うには、
まずはそれ以外の勢力がきちんと整っていかなければならないとの考えでした。

ただし、それには当然、政策のすり合わせも必要ですので、その大きな柱が
今回言われていた「脱増税・反原発・反TPP」でした。
(ちなみに、私は、TPPに関しては反対ではなく、枠組みとしては賛成だが、
今の日本政府の交渉力や、日本抜きのまま進展してしまっている交渉に
後から参加するリスクも踏まえ、慎重という立場をとっていました。)

そういった状況の中で、このプランは、年末を一つの目標に動いていたように
感じていました。

しかし、私の個人的な皮膚感覚では、年末では遅きに失するのではないか。
事をしかけるのであれば、10月末がタイムリミットだ、と感じていました。
離党を最終的に決断したのは、離党届けを提出した直前ではありましたが、
10月に入ってすぐから、私は、「今月が大きな山だ」といい続け、結果的に、
10月29日に離党届けを提出しました。

そのタイミングで離党に踏み切ったのは、私と水野代議士の二人だけでしたので、
残念ながら即座に第3極結集の動きには至らないと思いつつも、
まずは自分が行動することで一石を投じ、次の動きの呼び水になればとの考えもあり、
減税日本に加わり、第3極再編への行動を始めたのです。

この時、ちょうど同じタイミングで、石原東京都知事(当時)が辞職し新党を設立する
ことを表明しました。
ここで、大波乱が起こり始めました。
河村名古屋市長と石原東京都知事は、非常に近い関係だったこともあり、減税日本と
太陽の党の連携という話しが急浮上したのです。

当初は11月15日に、国会内での統一会派の発表と聞いていましたが、
14日に野田総理が党首討論で解散宣言をしたため、統一会派では全く意味がない
ことになってしまい、急遽合流の話しに切りかえられたと記憶しています。

まさしく、野田総理の奇襲で準備不足のまま物事が動き始めてしまいました。
第3極つぶしという視点からは、野田総理の作戦はあたったのでしょう。
ここから迷走が始まりました。

混乱した政局の時に、いろいろな発信をすれば、全て利用されるのではないかと思い、
ここから11月27日の大阪1区出馬表明まで、私はほとんど発信を止めていました。
しかし、そうすると、好き勝手にイメージをつくられるもので、民主党や維新の会からは、
民主党から私が総支部長をしていた総支部への交付金300万円について、
きちんと処理すると表明していたにも関わらず、まるで私が個人的に持って行った
かのようなことを言われ、正直憤慨しました。
(この交付金は、民主除籍後速やかに全額国庫返納しています。)
また、個人的に維新の会への入党申請を出したことは一切ないのに、維新の会側から、
この300万円を理由に、私の維新の会への合流は認めないような事も言われていましが、
民主党時代、同時にこの交付金を受け取り、同じ日に返金した、私と同期の代議士は、
この時点で既に維新の会に入党していました。
維新の会のこのダブルスタンダードにも戸惑ったものでした。

まあ、選挙とは権力闘争そのものでもありますので、この時の民主党や維新の会の対応を
今更非難する気は全くありません。いや、むしろあたりまえのことなのでしょう。
ただ、残念なことは、お互いの主導権争いの中で、結局自民党を利するような動きに
なっていってしまったことです。

話しを本筋に戻すと、とにもかくにも紆余曲折はありましたが、減税と太陽が別れ、
「減税」は「反原発」を経て、「日本未来の党」へと合流していくことになりました。
結果的に、当初目指していた反民主・反自民・非維新に近い形になりましたが、
最も大切な“時間”をあまりに浪費しすぎ、選挙直前での結党になってしまいました。

その結果、選挙目当てと言われたり、有権者に浸透するだけの時間がなかったりと、
非常に厳しい状況での結党になってしまいました。
返すがえすも、10月末のタイミングを失してしまったことが口惜しくもありました。

私個人に関しても、第3極結集という一つの目標に向かって民主党を離れ、
減税日本という入口から歩みを始め、自分としてはブレずにその道を歩んだつもりですが、
周囲からは、減税→(太陽→)反原発→日本未来の党、とコロコロと政党を変えたかの
ように言われ、マイナスイメージに働いたと感じています。
確かに、民主党を離党し減税日本に移りましたが、その後は所属する政党の合併に
合わせて党の名称が変わっただけで、一度も党を移籍したことはありません。
それだけに、選挙前のドタバタでこのようなイメージになってしまったことは残念でした。

ただ、総選挙は、何を言っても結果は変わるものではありませんので、私としては、
当時のこのドタバタへの猛省を踏まえ、本来であれば「日本未来の党」としてしっかりと
結束を確認し、今後に向かって新たなスタートを切るべきだと考えていました。
そのためには、早急に会合を開催し、私たちのような落選議員の声も聞いた上で、総選挙
の総括をし、その後速やかに党大会を開催し、次へとつなげていくべきだったのです。
ですが、そのような機会は設けられないままに、総括以前に代表人事から話しが始まって
しまい、このような分党という結果になったことは、誠に遺憾でなりません。
総選挙への反省や総括もないままに、何の方針もなく、取りあえず人事。
何故こんなことになってしまったのか。

こういった反省点も踏まえ、私自身は、党を動く時期ではないと判断しています。
せっかく政局から距離おいて身を置くことができるようになったのですから、
しばらくは冷静な対応を心がけつつ、自らを磨いていきたいと思っています。

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